2014年7月16日水曜日

True English 本当の英語のはなし

ココは下品な言葉が満載なので、
基本スルーでお願いします。(苦笑)







母国語が英語である、イギリス人とオーストラリア人が話していてぜんぜん通じずにお互いが、
「イングリッシュ(英語)で話してくれ!」と怒った。という実話を聞きました。

日本人の概念からすると英語は世界共通であるというイメージがあるんですが、
じつはコレがぜんぜん違います。(爆笑)

大まかに分けて、クイーン・イングリッシュ(英国語)、
アメリカン・イングリッシュ(米語)、
オージー・イングリッシュ(オーストラリア英語)の3つ。

オーストラリア国内でも、地方によって使う言葉は変わります。
日本は狭いですが、各地方に訛りはありますから、このへんは理解できますね。
英語が入って来たのは、ここ200年ほどですから、
長い歴史を持つ日本ほどには、言葉は分かれてはいません。

では、どれくらい違うのかというと、アメリカ人がオーストラリアに来たとき、
最初はなに言ってんだか、ぜんぜんわかんなかったよぉ。というくらい。(笑)

世界を相手に仕事をしているペーターも言ってました。
”Yoshi、僕は世界中からオファーがくるんだけど、
イングリッシュ(イギリス人)とアメリカン(アメリカ人)と、オージー(オーストラリア人)では、話す英語がぜんぜん違って、わかんないんだよぉ。”そう言ってました。(笑)

言葉の表現の違いはもちろん、スラング(訛り)もあって、少し勉強したくらいでは、ぜんぜんわかんないです。(爆笑)
私はよく聞かれます。”あなたは英語は喋れるんですか?”

いつも言う返答は、”いえ、ほとんど話せません。”(苦笑)


でもね、ここまで旅日記を見てもらって理解できると思うんですが、旅したり、買い物する位では、電子辞書程度があれば、どうにでもなります。(爆笑)


最低限必要な単語力、例えばエンピツはペンシルpencilとか、手はハンドhandとか、タバコはシガレットcigarette、~したい。はウォント トゥーwant to~ 買いたい。はウォント トゥー バイwant to buy~ 探してる。はルッキング フォーlooking for~ とか、そういう単語を覚えておくのは必要です。トラベル英会話の本くらい。
それに、釣りには釣りの専門用語、クルマにはその専門用語、ましてや、働くとなると、より高度なビジネス語学力は必要ですから、
それを知っていなければ、意思をキャッチボールする、会話は成立しませんし、仕事にもなりませんから、それぞれ覚える言葉はたくさんあります。

でも、怖がることはなにもありません。

言葉というのは、意思や主張を相手に伝達する道具や手段ですし、
会話や討論というのは、意思や主張をキャッチボールしながらその疎通をはかる。と、いう事ですから、意思や主張がなければ会話は成立しません。

それに、このブログのどこかで話しましたが、日本には古来の武士道からくる、
”ガマンの美学”、”無言の美徳”、”「はしたない」という感覚”もあります。
(台湾とか韓国とか、儒教の入ってる国の人とは、感覚は似てると感じます。)
けれども、ここオーストラリアにはこういう思想の文化は無く、
"声が小さい=自分の言ってることに自信がないヤツ。”または、
”無言=考えや意思がねえヤツ” さらには、
”言えねえような、ロクでもねえことを考えているヤツ。”
というふうに判断されます。

ですから、自分の意見、主張を表現しない事は、とても不利に作用します。
男女とも、シッカリと自分の意思を主張する。これが当たり前です。(もちろん、よく喋る人も、シャイな人もいます。)

いま、私が強く必要だなと思うのは、自分はなにをどういう風に捉えて、感じ、考えるのか。という思考とか意思。
私は長年、日本語で育ちましたから、当然ながら、まず日本語で考えます。
ですから、いまさら子供のように”知らないうちに英語が喋れるようになってた。”という展開は、ムリでしょう。(笑)
そういう、じぶん自身の感性や個性を、どれくらい日本語で話せる、表現できるのか。ということ。

だから、意外と必要なのは、母国語である日本語の、国語であると私は考えます。

人間は、言語以外、目や、ボディ・ランゲージでも会話ができます。

”聞いてれば英語が話せるようになる。”という教材を、出発前に一年間、こみっちり聞き続けましたが、
結論から言うと、私の場合は会話できる程にはなりませんでした。
(ですがヒアリング(聞き耳)は劇的に成長したので、相手が言ってる事はかなり聞き取れるようになったから、コミュニケーション能力は上がったんだけどね)
私は各地で、旅行者やワーキング・ホリデーの若者たちと交流する機会がありました。
少し仲良くなると、”その事について、私はこんな風に思うよ。どう思う?”とか、そういう会話になってゆきます。
最初は目が青いとか、ブロンドとか、白人とか、褐色の肌の人とか、
やっぱり圧倒されるんですよ。接するのに慣れてないから。
なんとなく、声が小いちゃくなっちゃって、
自信がないから伏目がちになっちゃって。(笑)


でもね、少し慣れてくると、その人たちも、日本の学校で教えるような英語なんか喋ってないことがわかってきます。
もちろん、彼らも英語が母国語じゃないから、例えばフランス人は”ゴニョグニュゴニョ”みたいなフランス語訛りの英語。(爆笑)

ネイティブ・スピーカーだって、文法どおりになんか喋ってない。
私たちだって日常の会話で、国語のテキストみたいな言葉、話してないじゃないですか。(笑)
日本に住んでる、外国から来た人も同じですね。発音なんか上手でなくても、私たちと会話できてる。

それに、ここオーストラリアは移民の国ですし、外国からの旅行者も多いから、
みんなが英語をうまく話せない人に対面する事に慣れてる。
そういう事もあって、流暢に話せないことは、カッコ悪い事じゃないんです。
いま、私が本当に必要だな。と思うのは、
デカイ声、相手の目を見る、それに情熱と勢い。

コレらで結構イケます。

パントマイムなんか出来れば完璧で、世界一周だって可能でしょう。(ちょっと疲れるだろうけどね・爆笑)





ニュージーランド人のミッシェルと旅していたとき、彼女とは、
”Yoshiが移動手段と食べ物を提供してくれる代わりに、私は本当の英語を教えるわ。
私は日本で一年半、自分のイングリッシュ・スクールを持っていたのよ。”
 ”ああ、いいよ。よろしく頼むよ。” そういう契約を交わしました。
(何度も同じようなこと聞くと、面倒がって教えてくんなかったけどね・笑)


それで、私は若い頃に来たときオージーに、本当の英語だと言われ教えてもらった言葉を、彼女に伝えました。

それは、Shitシット(クソ)、Cockコック(チンコ)、Nippleニップル(乳首)、Fuck Youファッキュー(英語で一番汚いとされる言葉)。

ミッシェルは、顔をゆがめて本気で、”その言葉は二度と使わないで!”と怒りました。
(この人出会った数日はやたらと怒ってたんだよね・笑)

用が足したくなって、I go to shit.(私クソしてきます。) そう言うと、また怒る。
恥ずかしながら、私は他に単語を知らなかったので、彼女はなぜ怒ってるのかがわかんなかった。(笑)

でも、Oh,Shit!(クソッ!)とか、Bull Shit!(ブルシット、牛のクソ!・もっと下品)とかは、くだけた仲間うちの会話では、普通に使われてます。

それまでは知らなかったんですが、上品な会話では、
オシッコはNumber1(ナンバーワン)、大きいほうはNumber2(ナンバーツー)と言います。
(コレはお店のトイレにも書いてあったので、間違いない)

まことにローカルな話で恐縮なんですが、大昔、私の地元ではNumber1という名前の暴走族グループがありました。
今考えると、その暴走族の名前は「おシッコ」だったんですね。(笑)
ネーミングも気をつけないといけません。



Fuckという単語も、日常で使われてます。
Fuck'n Good!(ファッケン グッド!・すっげえイイ!)というふうに使われますが、ちょっと乱暴なことば遣いです。


広いキャラバン・パークで、私は洗濯がしたいのだけど、ランドリーの場所がわからなくって、
青年たちのグループに場所を尋ねた事がありました。
シチュエーションとしては、午後遅い時間で、みなさんお酒をたくさん召し上がって、出来上がってるころ。(笑)

”ああ、ランドリーか?教えてやるよ!ココはFuck'n(ファッケン)広いから、わかりにくいんだ!こっち来いよ!”

”あそこにファッケン白い車が見えるだろ?!”

”その横をファッケン真っ直ぐ行くと、フアァッケン木が左側にあるんだ!”

”そのファッケン木と木の間を、ファッケンまっすぐいくと、フアァッケン・ランドリーがあるぜ!”

・・・このぐらい普通に使われてます。(爆笑)



Fuck You! Mother Fucker!(このクソ野郎!テメエ、母ちゃんとヤッてろ!)

(※注:コレを読んでるあなたは、ぜったい使っちゃダメよ・笑)



これらは、英語の中でも、最も汚い言葉のひとつで、私がこれを聞いたとき、周りの人々もあたりを見回していました。

でも、これを聞いたシチュエーションは、アボリジナル・コミュニティでの、じつは小学校3年くらいの、こども同士のケンカのやりとりですw



学校ではもちろんのこと、「本当の英語を教えます。」なんて看板を掲げている英会話教室なんかでも、こういう災いを呼び寄せる、忌み嫌われる言葉を教えることは、普通はないでしょう。


けれども、「学校や英会話教室では、決して教えないんだけど、現地の日常生活で普通に使われてる英語。」


それらを教える教職にある人には、少なからずの義務や責任はあるように、私は思います。



本当の英語。って、いったいどういう英語なんでしょうか。